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声優

冨永みーな(とみながみーな)

概要

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経歴

5歳の時に母に連れられて行った映画のオーディションで受かり、1971年に本名の冨永美子として神山征二郎監督の映画『鯉のいる村』(ゆうこ役)でデビュー。

6歳の時に劇団こまどりに入団し、ドラマ『お嫁さんに決めた!』『それ行け!カッチン』『ウルトラマンレオ』やCM等で子役として活躍する傍ら、1975年には、海外ドラマ『大草原の小さな家』のキャリー役で声優デビュー。1977年のテレビアニメ『世界名作劇場』における『あらいぐまラスカル』のアリス役などからアニメの声優の仕事も始める。

日本大学桜丘高等学校時代からは、『銀河漂流バイファム』『魔法の妖精ペルシャ』等のテレビアニメで声優業中心に活躍するようになり、レコードデビューも果たすなど、1980年代半ばにかけて声優界でアイドル的な存在となる。日本大学藝術学部演劇学科在学中は、声優としてさらに人気が急上昇し、ラジオ『アニメトピア』のパーソナリティとしてDJデビューし、『タッチ』等にも出演する。

ロングランアニメ『サザエさん』では当初、伊佐坂ウキエ役を担当していたが、1998年5月中旬、2代目磯野カツオ役の高橋和枝が収録中に突然体調を崩し、病院に搬送されたため、急遽代役としてカツオ役を務めることとなった。その後1999年3月に高橋が逝去したため、正式に3代目カツオ役に選ばれる。高橋とはサザエさん以前に『ウルトラマンレオ』の23話で共演している(ただし高橋は声のみ)。

『それいけ!アンパンマン』では多数のキャラクターを兼任しており、元気な少年や可憐な少女から、母親などの大人の女性、犬や鳥などの動物、ダークな二重人格キャラまで様々な性格のキャラクターを演じ分けている。

『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』のアフレコ中に突然激しい腹痛に襲われ、病院に搬送されるという事件もあった。検査の結果、虫垂炎を患っていたことが判明、そのまま治療の為に入院する事になったものの、声を担当していたマァムの出番がこの収録回で最後だったため、製作スタッフが担当声優の交代に奔走するような事態にはならなかった。冨永が腹痛に襲われたのはアフレコのBパートからエンディングに向けての場面(ポップがマァムを送り出す場面)だったのだが、最後まで倒れることなく激痛に耐え抜き、アフレコを完遂した。

一時期は声優業の他に、各種ラジオ番組やモノマネ番組などにも多数出演するなどの精力的な活動を行っていたが、現在では先述の『サザエさん』と『それいけ!アンパンマン』、番組ナレーションなどを中心に活動している。特にナレーターとしてはバラエティ番組での出演が多く、『開運!なんでも鑑定団』、『どうぶつ奇想天外』、『世界ウルルン滞在記』、『いきなり!黄金伝説』など人気番組に数多く関わる。

かつては、グループこまどり、プロジェクト・レヴュー、大橋巨泉事務所に所属していた。

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