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声優

山寺宏一(やまでらこういち)

概要

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経歴

幼い頃は体が弱く、体育の授業は見学ばかりだったという。多賀城高等学校時代はバスケットボール部に所属し、マネージャーを務めていた。東北学院大学時代は落語研究会に所属し、その縁で学生時代から端役ではあるが地元のテレビ番組や企業CMに出演、その経験が後の『GAP SYSTEM』シリーズなどで活かされることになる。当初は口が立つ事を理由に営業マンになろうと考え就職活動をしたが、「なんだかイヤになった」と放棄。CM出演経験でコネのあった広告代理店から声がかかったものの、当時流行り出した俳優・声優の啓発本を読んで役者の仕事に興味を持ち目指そうと考える。

本を読んだ結果俳優は「なんだこりゃ、わかんねえや」と断念、声優を目指して1984年俳協養成所に入所。1986年養成所を卒業(第14期)し、養成所の先輩が旗揚げした舞台と並行して俳協に所属。2008年3月まで東京俳優生活協同組合に所属し、2008年4月からアクロス エンタテインメントに移籍した。

1985年、OVA『メガゾーン23』の中川真二役で声優デビュー、テレビアニメでは『ボスコアドベンチャー』の主役一人のオッターでデビュー。1988年に映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のギュネイ・ガス、『超音戦士ボーグマン』のダスト・ジード、『魔神英雄伝ワタル』の渡部クラマの声を演じ、その後は1989年『らんま1/2』の響良牙役で人気を集めるようになる。

1991年、関俊彦・日高のり子と共に声優ユニット・バナナフリッターズを結成し、ラジオ、CD、舞台などで活動した(ユニットは1995年に活動を停止した)。

1993年、東北新社「優秀演技賞」受賞。同年5月23日に同業者のかないみかと結婚。

1997年10月、テレビ東京系の子供向けバラエティー番組『おはスタ』のメイン司会者となる。

2000年に洋画の吹き替えファンの三谷幸喜から声がかかり、俳優としてデビュー。それ以降、テレビ俳優やテレビ司会者などテレビタレントとしても活躍するようになっていった。この山寺のように、声優が一般のテレビタレントへ進出し活躍できたというのは極めて異例。

2000年、第38回ギャラクシー賞奨励賞受賞(『合い言葉は勇気』 毛野智光 役)。

2007年11月29日、2006年春にかないみかと離婚していたことが報じられる。2人の間に子供はいなかった。離婚の際、財産分与として地上3階・地下1階の豪邸を譲り渡した。その後、山寺は都内のマンションで一人暮らしをしていたという。

2009年、第3回声優アワード富山敬賞を受賞。

2012年6月17日、Twitterにて声優の田中理恵との入籍を報告。

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エピソード

■かないみかとの逸話
・小堺一機司会の番組『ごきげんよう』に出演した際、「理想の女性は?」という質問に「妻です。出会った頃の」と回答をしたことがある。
・結婚する前、かないと一緒にマンションなどを見て回っていたときに、彼女にプロポーズしたという。『おはスタ』の本番中に、「妻に(バレンタインの)義理チョコを貰いました」と発言したこともある。
・2007年11月17日、TBSラジオ『コサキンDEワァオ』にゲスト出演した際、新婚間もない頃、妻のカレーライスを食べて「もっと具が多いカレーが好きなんだけどな」と言って以来、一度も家でカレーを作らなくなったことがリスナー情報により発覚した。
・小堺との舞台『不定期ライブマン★コミック君!』にて2006年に離婚していたことを公表。2007年11月24日の公演では、かないが観客として来ている前で離婚の話を披露している。離婚した後も『それいけ!アンパンマン』で共演している。

■『おはスタ』での逸話
・この仕事でさらに知名度を上げた山寺は、『はれときどきぶた』、『デ・ジ・キャラットにょ』、『学級王ヤマザキ』、『スティッチ!』など、アニメに本人役として出演したこともある。当時共に司会を務めていたレイモンドと共に、『おはスタ』の司会者として出演したケースもある。当時番組共演者であったよゐこによると、番組挨拶である「おーはー」が香取慎吾によって「おっはー」として新語・流行語大賞を受賞したことについて愚痴をこぼしていた、とのことである。2007年の小堺一機との舞台公演では、「流行語大賞を取ったのに挨拶にも来なかった」とこぼしていた(同公演はフジテレビ主催である)。
・共演者だった「おはスタ番長」役の松風雅也に、bayfmでの番組DJのオーディションを持ちかけた所、松風は見事合格。松風は火曜、山寺は水曜と曜日は違えど、両者共に『BAY LINE 7300』でパーソナリティーを務めることとなった。
・1997年開始当初は2回ほど休んだことがあり、その際はミニ四ファイターのコスプレをした森久保祥太郎が代理で司会を務めた。また、2006年に大阪で舞台があったため半月ほど休んでいた時期がありそのときの代理司会は最初3日を三谷幸喜、中5日を山里亮太、ラスト5日をアンガールズが担当した。後に山里は相方のしずちゃんと金曜(2011年3月まで)、アンガールズは火曜のレギュラーとして登場。また三谷も2008年公開の映画ザ・マジックアワーの宣伝でゲスト出演している。
・1998年には、本来登場しない6時45分-7時3分帯の『おはスタ』1部にもレイモンドと一緒に登場したことがある。また、ピョコタン作画によるひきだしあけおが1部に登場していた時期にも、衛星中継風の画像で出演していた。これは、2000年にガレッジセールが出演するまで続いた。
・その広い声のレパートリーを利用して、「ぶら~り駄菓子屋さん」のナレーションなど、何度かキャラクター声を披露したことがあり現在はさまざまなパペットキャラと本来のキャラの1人2役を行っている。
・山寺本人をキャラクター化した「ウナムー」(「宏一」の「宏」の字を「ウナム」と片仮名三文字に分解した命名)が登場し、声も山寺本人が演じる。
・この番組では外見から「もじゃめがね」と呼ばれることもある。特に鉄拳は登場するたびにこれに触れている。自らギャグとして言っていた時期もある。
・この番組への出演時は、必ずadidasのスニーカーを着用して司会を務める。
・2000年には「おはスタ」の山ちゃんとして、共演の鴻口可南と共に映画『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』に出演を果たした。

■タレントの声優起用に関して
・『トイ・ストーリー』の日本語版でウッディ役が決まり、吹き替え作業がすべて終了していたが、「無名な声優より有名人を使った方が話題になる」との上の判断により公開直前に唐沢寿明に配役が変わった。このことで山寺は「だったら知名度を上げてやろう」と奮起し、以降活動の幅を広げていったという。 人気が出てから、ディズニーに対するアンチテーゼ的作品でもある『シュレック』シリーズに、浜田雅功や藤原紀香と共に吹替え版の目玉として出演した。
・HollyWood Express公式ブログ2007年8月26日「山寺宏一より今週の一言」で、安易にタレントや有名人を起用することが多い劇場版アニメや洋画の吹き替えなどのキャスティングに対し苦言を呈した。

■その他
・『走れメロス』のアフレコ中、熱演するあまり叫びすぎて酸欠を起こし、倒れたことがある。
・次の仕事までの空き時間がごくわずかな時間しかなくても必ず自宅に戻って仮眠していると言う。

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